緑青録

調べたことや知ったことを書きつける。

ややこしい画家

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de la Tour, 1593-1652)

アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fanin-Latour, 1836-1904)

 

ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais, 1829-1896)

ジャン=フランソワ・ミレー(Jean François Millet, 1814-1875)

 

100%区別できるようにする。

菊池寛「田原坂合戦」

 『英傑 ―西郷隆盛アンソロジー―』を読んでいる。

 これに収録されている菊池寛の「田原坂合戦」に、羽田と川村操六という人物が登場する。

 誰だ。

 羽田は木留方面から高瀬を攻めた薩軍として現れる(119頁)。姓名あわせての表記でないので既出の人物のつもりで書いたのだろう。桐野や篠原と並んでいる点から村田新八の間違いではないかと思う。

 一方の川村操六は、政府陸軍の少佐で熊本籠城戦を経験したとある(122頁)。川上操六を書き損ねたかと推測するものの検索してみる。「近代日本人の肖像」によると、川上は熊本籠城で功があったという。そして“川村操六”ではヒット数が少ない。川上と川村純義とを混同したのか。川村純義は海軍軍人として西南戦争に参加している。

 調べるうちに、かつて川上操六の銅像があったという情報を得た。九段の辺りに置かれていたが銅像供出で撤去されたとかいう話だ。こちらも気になる。

赤木正雄像

 永田町で黒田清輝の旧居跡を探してさまよっていたら銅像を見つけた。場所は砂防会館の前。工事の柵で近づくことができず、作業員の方に撮影の許可を求める。果たして柵の中には入れないとのことだったが、色々と話をしてくださった。

 やはり黒田ではなく、誰かというと赤木正雄なる人物であった。作業員の方曰く立山やダムに所縁があるらしく、像は田中角栄が造らせたものだという。撮影中、赤木像がトレッキング用のような靴をはいているのに気づいた。

 後で調べたところ赤木は「砂防の父」と呼ばれているらしい。

 黒田の旧居跡は永田町駅を出てすぐにあった。見落としていた。